合気道 凱風館とは

 合気道凱風館は2015年1月1日に多田塾甲南合気会を改称して成立した社会人団体です。前身の多田塾甲南合気会は2005年4月1日に成立しましたが、これのもとになったのは神戸女学院合気道会という団体です。

 神戸女学院合気道会は、大学のクラブである神戸女学院大学合気道部と同時に1991年4月1日に同大学の教員であった内田樹によって創建されました。当初、神戸女学院合気道会は学校法人神戸女学院にかかわる人々(教職員、学生生徒、同窓生たち)を核とする社会人団体として構想されましたが、創立15年を経て、大学とは直接の関係をもたない地域市民の方々の会員が増え、名称と実体の間に乖離が生じてきたために、名称を多田塾甲南合気会と変更しました。

 道場名に冠した「多田塾」は本会が(財)合気会本部師範、イタリア合気会最高師範、九段、多田宏(ただ・ひろし)先生 (1929-)の主宰する「合気道多田塾」の系列道場の一つであることを意味しています。本会を主宰する内田樹は東京の自由が丘道場で15年間にわたり多田宏先生の教えを直接受け、そのお許しを得て、91年から関西での合気道の普及に携わってきました。

 しかし、このたび多田先生からのご指示で「多田塾」という名称を対外的には使用しないということになりました(同門での合宿などの身内の催しには引続き多田塾の名称は使われます)。ご指示に従って、道場名を2015年から合気道凱風館とすることに致し、合気会本部への名称変更登録を致しました。

 多田塾の名を冠した道場は本会以外に奥州道場はじめいくつもありましたが、どれも改称を指示されております。

 多田先生が「多田塾」の名の下に系列道場を集めて、合同での合宿・講習会を始められてからすでに20年になります。「気の錬磨」を中心とした多田先生独特の合気道はその間、イタリア合気会をはじめひろく世界に普及しましたし、また同門の道友たちとの親しい交流が実現したのも「多田塾」という大きな天蓋の下に包まれていたからです。そういった経緯をよくご存じの上で、多田先生が今般「多田塾」の名称を掲げる道場に改称を指示されたのには深いお考えがあってのことですから、それについては門人たちひとりひとりがそれぞれに思いを致すべきことだと思います。

 凱風館はすでに竣工以来3年を経ておりますので、建物名称としては門人たちには定着しております。ただ、凱風館では合気道以外の武術や体術の講習会も行っておりますし、能楽をはじめとする伝統芸能や学術セミナーなどにも開かれておりますので、「凱風館」はそういったさまざまな活動を統括する場の名とし、合気会本部公認道場としての道場名は「合気道凱風館」とすることと致しました。よろしくご諒察ください。


入会希望の方は、以下の内容をよくお読みください

  1. 合気道とは
  2. 合気道多田塾の稽古方針
  3. 合気道多田塾を構成する組織
  4. 合気道 凱風館 会則ならびに多田塾道場心得

入会希望の方へ

入会をご検討中の方にはお稽古を見学していだだけます。

見学をご希望の方は「合気道 凱風館とは」 及び 入門案内 ご精読の上、師範  内田 樹 までメールにて直接お申し出願います。

こちらにお稽古の日程を公開しています。

合気道 凱風館 会則

2005/04/01 制定
2013/06/22 改定
2015/01/07 改定

第一条・名称・組織・所在地

本道場は合気道 凱風館と称し、(財)合気会師範・多田宏先生の主宰する合気道多田塾に属する。
所在地を神戸市東灘区住吉本町2-11-4凱風館に置く。

第二条・会の目的

多田宏先生が開祖植芝盛平先生に就いて学ばれた合気道の技法・術理の理解会得につとめ、これをひろく普及すること。
稽古を通じて、門人ひとりひとりがその潜在的な心身の可能性を最大限に開花させること。
多田塾同門の道友諸氏との友誼を重んじ、同門互いに切磋琢磨すること。

第三条・役職と職掌
  1. 稽古指導・道場運営にかかわるすべての決定は師範がこれを専管する。
  2. 塾頭は師範を稽古指導・道場運営の両面において補佐し、師範の不在時にはこの職務を代行する。
  3. 師範は若干名の助教を任命し、師範不在の代稽古は助教が行う。
  4. 師範は稽古指導上の問題で意見を徴する必要があると認めた場合に助教会を召集する。
  5. 師範は道場運営にかかわる業務を専管する若干名の運営委員を任命する。
  6. 師範は道場運営上の問題で意見を徴する必要があると認めた場合に運営委員会を召集する。
  7. 稽古指導・道場運営上で師範を補佐する役職として、師範は必要に応じて、顧問・助教補その他の役職を指名する。
第四条・入会・処分・休会・謝金
  1. 入会希望者は、入会願に必要事項を記載し、所定の入会金を添えて師範に提出し、その許諾を得ることを要する。
  2. 本会則ならびに別紙に定める多田塾道場心得に違背した者、多田塾の品位を汚す言動のあった者は破門に処す。
  3. 長期にわたり謝金を滞納した者は退会に処す。
  4. 長期にわたり無届けで稽古を休んだ者は退会に処す。
  5. 事前に通告をなした者は休会扱いとし、休会期間は謝金を免ずる。
第五条・規定の改廃他

本規定および別に定める内規の改定は師範が助教会・運営委員会に諮った上でこれを決する。

道場心得

本会の道場心得は多田塾道場心得に準じる。

【多田塾道場心得】
  1.  礼儀作法は正しく、規律を守り、指導者の教えに忠実に従うこと。
  2. 道場に入場する時は、玄関で帽子、手袋、コート等をとり正面に一礼してから師範に来場の旨を述べ、更衣室で稽古着に着替えること。
  3. 稽古開始の時間に遅れたときは、呼吸法、鳥舟が終わるまでは入出場せず道場外で待機すること。
  4. 道場内ではお互いに和を尊び、明るくのびのびと稽古に励むこと。
  5. 稽古は真剣に、素直に行い、怪我過ちの無いように心がけること。
  6. 一人稽古を充分に行うこと。
  7. 人の技を批判しないこと。
  8. 杖、木刀を使用する時は、作法に則り正しく行うこと。
  9. 稽古着は常に清潔にすること。
  10. 稽古が終わったら必ず道場を掃除し、きれいな環境の中で稽古が出来るようにすること。
  11. 道場内は禁煙とし、酒気を帯びた者には入場を禁じる。
  12. 道場内での私語は稽古の妨げとなるので慎むこと。
  13. 見学者も道場内の秩序に協力し、見学の許可を得てから所定の場所で正座して見学すること。
  14. 他の道場に行き稽古をする時も、その道場の規則をよく守り、器物等には一切手を触れないこと。

【一般作法、畳の上での注意】

  1. 日常生活の言葉遣い、立ち居振る舞いと合気道の稽古とは、同じと心掛けること。
  2. 人前を横切らないこと。
  3. 扉の開け閉めの際には、前後に人がいないか気を付けること。
  4. 物を受け取る時、渡す時は両手で行うこと。
  5. 相手が畳に座っている時に、挨拶する、話をする、物を渡す時は、自分も座ること。
  6. 座った人の後ろに立たないこと。

合気道多田塾を構成する組織

師範が直接指導にあたっている道場
合気道自由が丘道場:昭和36年創立
合気道月窓寺道場:昭和51年創立
門下生高段者が組織する会
北総合気会  山田博信 七段
合気道明心会   亀井格一 七段
合気会奈良県支部  窪田 育弘 七段
志木合気会(故樋浦直久 七段創設)  三輪明 四段
桜台合気道クラブ   今崎正敏 六段
合気道 凱風館 内田樹 六段
里見八顕会   野本純 六段
合気道八起会   山田陽也 五段
川崎市役所合気道部 石川敬 四段
大宮合気道倶楽部  花香邦夫 五段
多田塾杉並会  坪井威樹 七段
大学OB会
早稲田大学合気道会OB会稲門合気倶楽部
東京大学合気道気錬会OB会宏心会
大学クラブ
早稲田大学合気道会
東京大学合気道気錬会
神戸女学院大学合気道部

イタリア合気会

Associazione di Cultura Tradizionale Giapponese = Aikikai d' Italia (日本伝統文化の会=イタリア合気会1964年(昭和39年)多田宏が創立。同会は1978年7月8日イタリア共和国大統領令N.526 によりイタリア政府公認のEnte Morale(財団法人)となっている。イタリア全土各市に支部があり正会員5000名 、OB及び一般会員を含めると数万人)

合気道多田塾の稽古方針

  合気道は植芝盛平先生により確立された近代武道です。合気とは「心の集中」,「心の和」「気の感応」,「人間の生命と宇宙生命の一致」,「神人冥合」等 々を表す言葉です。気は、サンスクリット語のPranaと同じように「絶対的エネルギー」と、とらえています。敬虔な神道の行者であった植芝盛平先生は、 「合気道は『小戸の神技=禊ぎ』である」と説かれました。

 合気道の技は日本武術の粋である劔術、槍術の法則を素手で表すものといえ、熟練すれば、相手の身体を、あたかも自分の剣や槍を用いる様に、扱うことが出 来るようになるのです。この様になるには相手と対立して制するのでは無く、心が相手と対峙せずに、しかも自然と技が生まれる稽古法が必要です。
 この背景には、長い歴史を有する東洋哲学と、その実践行法が存在しています。この方法こそ、我々の先祖が最も重要視していた、日本の伝統的稽古法なのです。
 合気道多田塾では、合気道を「現代に活きる武道として、対峙する心を超える、実践東洋哲学の道」と位置づけ、この日本伝統の訓練法を、現代的に行うことを稽古の主眼におき、「気の錬磨」を根本とする稽古を日夜探求しています。

合気道とは

内田樹(合気道 凱風館 師範)

 合気道とは開祖植芝盛平(うえしば・もりへい)先生(1883-1969)によって体系づけれた近代武道です。
 植芝先生は若年のころから柔術、剣術、槍術などの古武道を修行されたのち、武田惣角(たけだ・そうかく)先生に就いて大東流柔術を学ばれました。これら の古武道の技法が合気道の技術的な体系の骨格をなしています。さらに植芝先生は大本教の出口王仁三郎師(1871-1948)に師事し、その宗教思想に深い影響を受け、従来の武術とは異なる、「愛と和合の武道」を標榜する新しい武道の体系を築かれたのです。

 私たち合気道 凱風館はその植芝盛平先生に戦後すぐから師事され親しく植芝先生の薫陶を受けられた多田宏先生(1929−)(財団法人合気会師範、イタリア合気会最高師範、九段)の主宰する合気道多田塾の系列道場の一つです。
 多田先生は合気道を始められると同時に中村天風(1876-1968)先生の主宰する天風会にも入会され、天風先生からは心身統一法の哲学と技法を学ばれました。
 ですから合気道多田塾の修業する合気道には、植芝盛平先生の合気道と中村天風先生の心身統一法の両方の思想と技法が流れ込んでいます。

 合気道には試合がありません。
 修行の過程ではいたずらに「強弱勝敗を論じない」というのが合気道の基本的な考え方です。この点で、合気道勝敗や技術の巧拙を競うスポーツとしての近代武道とは違う道を歩みます。
 合気道は目の前にいる敵を相手にする相対的な勝利ではなく、「敵をもたない・敵をつくらない」ための武道的な身体運用の理法と技術に習熟することを修業の目的としています。
 「無敵」とは「あらゆる敵に打ち勝つ」という意味ではなく、「敵」という概念そのものを改鋳することによって、「敵」の及ぼすネガティヴな影響を軽減ないし無化することにある、私はそのように考えています。これはきわめて高く困難な目標であり、そのためには深い内観の力と自他の「インターフェイス」における適切なふるまい方についてのただしい知見が必要です。
 「誰かに勝った」とか「誰かより上手い」というかたちの相対的な満足のうちに停滞することはこの修業においては妨げにしかなりません。試合が行われないこと、また他人の技術を批判することを禁じているのはそのためです。

 ヨーロッパでは合気道はしばしば「動く禅」と呼ばれます。それは合気道が激しい動きを呼吸によって律し、動きながら一種の瞑想状態=トランス状態に入る ことを重要な訓練方法としていることによります。その意味では合気道の稽古は身体的なトレーニングというよりは、ある点では宗教的な行に近いと言えるかも 知れません。
 合気道の体術体系は「形稽古」から構成されています。
 わざをかけるものと、受けをとるものがあらかじめ決まっており、攻守が交代しながら技術と身体を練り上げてゆきます。
 形稽古を模擬的な試合、あるいは振り付けの決まった「殺陣」のようなものと理解している人がいますが、それは型稽古の解釈を誤っています。形稽古のねらいは、理想的・本然的な身体運用法則の発見にあります。
 私たちが「自然な身体運用」だと信じているふだんの身ぶりの過半は(言語と同じく)歴史的・地域的に限定された「民族誌的奇習」に類するものです。「自然に動いている」つもりの人は、しばしばある種の文化的な「身体型」にはめこまれていることを意識していないだけです。
 形稽古の重要な目的の一つはそのような因習的身体運用を意識化・主題化することです。そして、人間にとって生物学的にあるいは類的に自然な身体運用というものがあるとすれば、それはどのような動きであるのかを考究することです。
 ですから、合気道の稽古は筋肉の力や動作のスピードを求めません。因習的・奇習的な身体運用をいくら量的に加速・増量しても、それは自転車に大排気量のエンジンを積み込むようなものです。そのような稽古は長いスパンでは基体を痛めつけることにしかゆきつきません。必要なのは、自転車ではない別の原理で動く乗り物に乗り換えること、身体運用のスキームそのものを書き換えることです。「身体のOSのヴァージョンアップ」というふうに言い換えてもいいかもしれません。
 そういう点では合気道はきわめて「研究的」なものです。
 合気道の道場は「訓練の場」と言うよりはむしろ「研究室・実験室」に似ています。さまざまな技法や術理について「仮説」を立て、それを「実験」し、効果や合理性を「検証」し、「反証事例」が出てきたら、別のより包括的「仮説」を立てる…という自然科学における学術プロセスとほとんど同じことが道場では行われます。稽古そのものは斉一的に行われますが、ひとりひとりの門人がそこで行っ ている「実験」はおそらく全員別のものです。
 多田先生は「道場は楽屋であり、日常生活こそ本舞台である」ということをよく言われます。
 私はこのことばを「道場は仮説の実験の場であり、その仮説の汎用性が実地に問われるのは道場を出てからである」という意味に解釈しています。
 ある意味で道場ではどのような失敗も許されます。実生活では失敗によって大きなものが失われますが、道場ではそんなことはありません。
 道場では真剣で恐ろしげな顔をしている人が、一歩道場を出ると緊張感を失ってしまうというということがときどきあります、その人はおそらく道場というものの意味を勘違いしているのです。道場は愉快な場所です。さまざまな「実験」が許される特権的な場所です(合気道の技のどれかを日常生活の中で試みると警察か救急車が呼ばれることになります)。だからこそ、道場は(機能的な実験室がそうであるように)クリーンで秩序ある空間でなければならないのです。
 どうも合気道について書き出すと長くなってしまうので、そろそろ長広舌は終わりにして、団体のことについて書いておきます。

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